ストーリー【 巨大甲殻との戦い】


大きな甲殻類の尻尾を目指し、ウィスカは必死に走る。

 鼻につく何かの燃える嫌な臭い。聞こえる町の人々の悲鳴。それらは近づくにつれ、少しずつ強くなっていく。

 そしてそれらに交じって香る、これは、腐敗臭だろうか。ただの災害ではあり得ないような臭いが届くたび、ウィスカは顔をしかめた。

 走れば走るほどに、急げば急ぐほどに、ウィスカの心は焦りを強めていた。

「犯罪者様」

「犯罪者、って、まさか私のこと!?」

「ええ。まだお名前を伺っていませんでしたので」

「ウィスカ! ウィスカ・アリアンロッドよ!」

「なるほど。では、ウィスカ様」

「何?」

 首枷となった管理人は、レインから聞いたのであろう状況を淡々と説明していく。

「現在、周辺住人の避難は進んでいますが、戦闘をできる人員が足りていないとのことです。来るなら一刻も早く、だそうですが」

「言われなくても急いでるわよ!」

 ウィスカは屋根の上を走りながら小さな魔石を取り出した。

 それを後方に放ると、軽く跳び、爆発させる。

 爆風の勢いに乗って加速し、あっという間にウィスカは細い道を飛び越していく。

 屋根の間、逃げ惑う人々の上を跳びながら、ウィスカは管理人に聞いた。

「あとどのくらい!?」

「次の屋根を越せば――」

 彼女の言葉と共に、ウィスカは目の前の屋根を飛び越し、広がる大通りと、その奥に陣取る巨大な甲殻類を見た。

「到着でございます」

 慌てて後方に投げようとしていた魔石を握りしめ、ウィスカは大通りに着地する。

 奥にいる甲殻類――大サソリは、巨大なハサミと4対の足、そして高々と持ち上げられた棘付きの尻尾を持っていた。

 尻尾だけでウィスカよりも大きく見える巨体を持ったサソリは、相変わらず街に向かって火球を放ち、悠々とハサミで民家の柱を断ち切っている。

 火球に加え時折発射される棘は、突き刺さった箇所を一瞬で腐敗させているようだった。あんなものが人に当たったら、と軽く想像してしまい、ウィスカはそのおぞましさに寒気さえ感じていた。

 破壊活動を繰り返すサソリに、ウィスカはいくつかの魔石を取り出して投げつける。

「そこまでよ、デカブツ!」

 言いながら、ウィスカはサソリへと突貫していく。

 サソリにぶつかった魔石は爆発するものの、硬い殻に覆われた肉体に損傷を与えるほどではなかった。ウィスカもそれは予想していたのか、煙が晴れると同時、より魔力のこもった大きな魔石を投げる。

 さすがに効き目が薄いとはいえ、攻撃されたサソリはウィスカの存在に気付き、尻尾の先に魔力を溜めて火球として放ち始めた。

 それにウィスカも合わせるようにして炎を放つ。

 サソリとウィスカ、両者の炎がぶつかり合い、大通りには少しづつ火の手が広がっていった。それを見て、ウィスカは攻撃を1度止めて回避に専念しながら考える。

 このままでは、街の被害が広がり続けるだけだ。

 あのサソリとの戦いを長引かせれば長引かせた分だけ、被害は大きくなっていく。

 生半可な攻撃ではあの硬い殻に弾かれてしまうし、それ以上に激しい攻撃で近づくことも困難ときている。

 ……だとすれば、やることはシンプルだ。

「これなら――」

 ウィスカは大きめの魔石を取り出し、魔力を込める。

 それを宙に放ると、ウィスカは助走をつけて跳び、魔石を蹴りつけた。

「どう!?」

 ウィスカが蹴り飛ばし、魔石は炎を纏った巨石となってサソリへと放たれる。まるで隕石のような勢いで迫る炎と岩の塊だったが、サソリもその脅威に気付いたのか、巨体に似合わぬ素早い動きでそれを交わす。

 家屋を昇り、サソリは高低差を巧みに使ってウィスカの放つ魔法を器用にかわしていく。数発を避けられ、ウィスカは次の魔石を用意しながら叫んだ。

「管理人!」

「……ああ、私のことですか?」

「そうよ! 名前聞いてないもの!」

「私はネディと申します。以後、お見知りおきを」

「ご丁寧にどーも! そんなことより、レインさんと連絡取れない!?」

「できますが」

「繋いで!」

「はあ……しばしお待ちを」

 ウィスカの叫ぶような言葉に、訝し気にしながらもネディはレインに連絡を取る。

『――ん、どうした、ネディ?』

 ウィスカの首枷から聞こえる声が、男性のものに変わった。

「レインさん? 私、ウィスカよ!」

 再び攻撃に転じてきたサソリの攻撃を避けながら、ウィスカは次の手を考える。

『ウィスカさん? どうしました?』

「でっかいサソリと今戦ってるの! ねえ、あいつの動き、少しでいいから止められない?」

『動きを、ですか』

「うん。思ってたより機敏に動くわ、あいつ。あれじゃ攻撃が当たらない」

『なるほど、厄介ですね。……動きさえ止められれば、倒す手立てがあるのですね?』

「ええ、やってやるわ」

『分かりました。避難誘導も落ち着いてきたところです。すぐに向かいますので、もう少しだけ耐えてください』

「頼んだわよ!」

 レインとの会話を終え、ウィスカは持っていた中でも一際大きな魔石を取り出し、細く息を吐き出した。

 サソリの視界から逃れるように1度路地に入り、角からサソリの様子を伺う。

「さて、と。集中、しないとね」

 ウィスカは大きな赤色の魔石に魔力を込めながら、屋根の上でウィスカを捜している様子のサソリを睨んで言った。

「ねえ、ネディ」

「なんでしょう?」

「私は犯罪者、ってことは、きちんと裁かれるべきよね?」

「はあ、そうですね」

「だったら――裁く前の罪人はきちんと生きててもらわなきゃ困るわよね」

「……何が言いたいのです?」

「できるわよね、私1人をレインさんが到着するまで守り切るぐらい!」

 言うが早いか、ウィスカは大通りのど真ん中に仁王立ちし、サソリに向かって大きな声で呼びかける。

「待たせたわね! とっとと狙ってきなさいよ、デカブツ!」

 その声に反応するように、サソリは通りに降りてくるとウィスカ目掛けて火球を放ちながら迫ってきた。

 ウィスカは魔石に魔力を送り続けている。火球をよけようともしないその素振りに、ネディがため息をついた。

「発想が乱暴すぎませんか?」

「状況が状況だもの。四の五の言ってらんないわ」

「はぁ……全く」

 ウィスカの眼前まで迫った火球が、不意に霧散する。

 彼女の前に立った管理人姿のネディがそっと触れる度、サソリの放つ火球は消えていく。

「ああ、お忘れなく」

 ネディは自らの首元をトントンと突き、そこにある首枷と、ウィスカの首枷に伸びる鎖を見つめながら冷めた表情で言う。

「この隙に、などということはあり得ませんので」

「分かってるわよ」

 しかしネディの言葉に、ウィスカも静かに返す。

 手元に集中しきっている彼女を見て、ネディは張り合いがない、とでも言いたげにもう1度ため息をつき、迫る火球のことごとくを霧散させていった。

 だが、それらを繰り返すうちに、少しずつサソリと2人の距離も縮まっていく。

 火球による猛攻は続くが、ウィスカも動く気配がない。

 その間に挟まれながら、ネディは静かにサソリの動きを注視していた。

 やがて眼前にまでやってきたサソリは、ハサミをネディの方に向ける。

 腕と胴を引き千切らんと伸ばされたそれだったが、ネディはハサミに捉えられてもなお、平然とした顔をしている。

 ガチン、バチン、と閉じられたサソリのハサミだったが、しかし、ネディは元通りの姿でハサミを撫でると静かに言った。

「その程度では、私は殺せませんとも」

 その言葉に反応するようにして、サソリは何度もハサミを振るう。

 だが、いくら千切れようが切り裂こうが、ネディの体はすぐに元に戻ってしまう。

 何度も繰り返すうち、サソリはしびれを切らした様子で尻尾を持ち上げる。ハサミで幾度か切りつけた後、ネディを丸ごと貫いてしまいそうな巨大な棘が、彼女に迫る。

「ああ、それは、さすがに耐えられませんね」

 まるで困った様子には見えない顔で、ネディはじっとサソリの尻尾を見つめる。

 ネディの言葉を聞き、それまでひたすら手元に集中していたウィスカも、さすがに顔を上げて彼女の方を見た。

「嘘、それは先に言いなさいよ!」

「ああ、ウィスカ様。大丈夫ですよ」

「耐えられないって言ってたじゃない! くっ、さすがに今からじゃ……!」

 ウィスカは慌てて魔石を用意しようとするが、それよりも早く、ネディの体にサソリの尻尾が迫る。

 だが、その一撃は、彼女の体にぶつかる寸前で唐突に止まった。

 それどころか、サソリ自体の動きもすっかり止まっている。

「ですから、大丈夫ですよ。これだけの時間を稼げていれば、レイン様が間に合いますから」

 見れば、サソリの足に氷が纏わりつき、地面に縛り付けていた。体を覆う殻の節々にも、いつの間にか氷が入り込んで動きを封じている。

「ウィスカさん、今です!」

 サソリ越しに聞こえてきた声に、ウィスカはネディと共に1度距離を取った。

 千切れた体を修繕し、再びウィスカの首枷に戻るネディを見て、

「無茶言って悪かったわね」

 と小さく呟き、ウィスカは手元の大きな魔石を頭上に掲げる。

「さあ、終わらせましょう」

 ゆっくりと、ウィスカの手を離れた魔石は輝きを強めながら宙に浮いていく。

「天に輝く星々の息吹、人の身を照らす遍く天体、天蓋の宝石は今、終わりを告げる炎と化した。永劫の鉄は我が手に! 『スターブレイカー』!」

 やがて、ウィスカの頭上で輝いた魔石は、まるで小さな太陽とでも形容すべき巨大な火球へと変化した。

 それは、今までのウィスカの1撃と違い、ゆっくりと、しかし確実にサソリへと迫っていく。サソリは変わらずレインの魔法で身動きが取れないまま、ゆっくりと火球に飲み込まれていった。

 そして、火球はサソリを飲み込み地面に触れると、そのまますさまじい火柱へと姿を変え、まるで光の柱のように辺りを照らした後、ゆっくりと消えていった。

 やがて全てが消えると、サソリは跡形もなく消え去り、そこには焼け焦げたクレーターが1つ残されるだけだった。

 ふぅ……と軽く息をついたウィスカは、大きな力を使った反動からか、眩暈を覚え、そのまま静かに意識を手放してしまった。

「……あれ?」

 気づけばウィスカは、これまで何度か来たことのある真っ白な空間にやってきていた。

「お疲れ様。まあ、正直及第点、とも言えないような内容だったけど、頑張った方じゃないかしら?」

 目の前に立っているのは、薄紅色の髪をした、自分と同じ顔の少女。

 手元で炎を遊ばせていた彼女が、ふっ、と息を吹きかけると炎は消え、微笑む彼女はウィスカに問いかけてきた。

「赤の力の根源は、怒り。ちょっとは分かってきた?」

「怒り……」

 ウィスカは小さく呟いて、困ったような笑みを浮かべる。

「怒るのって、なんというか、疲れますね」

 それに、薄紅の少女は笑う。

「あははは、そうよね、あなたはほとんど怒ったりしないで生きてきたものね。でもね、そういうものなのよ、怒りって。すごくエネルギーを使う感情なの」

「はい……でも、これも大切にしなきゃいけない、私の感情の1つ、なんですもんね」

「ええ。怒りを感じない人なんていない。もし仮に怒らない人がいたとしたら、そうね、その人は人間なんてやめちゃってるのか……見えないところで怒りを発散させてるか、どっちかでしょうね」

 どちらにしても、あなたには遠い話よ、と笑った後、薄紅の少女はそっとウィスカの頭を撫でて、優しく告げる。

「怒りは強いエネルギーを持っているけど、使い方を間違えれば危険なもの。怒る前にちゃんと考えるようにしないと、また捕まっちゃうわよ?」

「う、それは、気を付けます……」

「分かってるならよろしい。……あなたの怒りは人を想ってのもの。それは正しい怒りのはずよ。あとは、振るい方と、本当にその怒りが正しいのか考えるあなた次第。必要になったらまた呼びなさい」

 ウィスカの意識がまた薄れ始める。

 薄紅の少女は表情を引き締めると、ウィスカを真剣に見つめ、

「あなたの感情は、いつだってあなたと共にあるわ。上手く付き合っていきなさい」

 そう言ってひらひらと手を振っていた。

 はっ、と目を覚ますと、ウィスカは見知らぬ部屋に寝かされていた。

「おや、目が覚めましたか」

「ここは……」

「教会ですよ」

 すぐ横に座っていたネディが、手元の書きものをやめてウィスカを見下ろしていた。

「レイン様を呼んできますので、そのままお待ちください」

「あ、はい……」

 相変わらず淡々とした態度の彼女を見送り、ウィスカはここに寝かされるまでの経緯を思い出す。

 大きな魔法をうって気絶してしまうのは、どうにかしなきゃいけないなぁ、と今後の課題を認識しつつ、ウィスカは室内を見回す。

 明り取りを兼ねた窓と、ウィスカの座っているベッド、机が1つと、出入口が1つ。

 窓から差し込む光はすでに月明かりになっており、外からは人の気配すら感じられない。

 昼の騒動がまるで嘘のように静まり返った街。避難した人々がまだ戻っていないのか、大通りが近いここでも誰の声も聞こえてこない。

 いつも祖父と一緒に宿泊していた宿なんかでは、夜でも人々の喧噪が聞こえてくるぐらいだった。

 それを思うと、この静けさに胸が痛む。

「浮かない顔ね」

 ぎゅっとシーツを掴み、俯くウィスカの耳に、不意に聞こえてきた声。

 窓の方を見れば、そこには1人の少女が窓枠に腰掛けてウィスカを眺めていた。

「あなたは……!」

 そこにいたのは、ウィスカが勘違いで助けた少女だった。

 フラウと呼ばれていた彼女は長い髪を翻しながらのんびりと窓から降り、ベッドの横にやってきた。

「昼はどうも。おかげで助かったわ」

 驚いて固まってしまっているウィスカをよそに、フラウは平然と話を進める。

「一応のお礼をね、しようと思ってきたのよ。ああ、兄さんは呼ばないでね?」

「……はっ! えっと、フラウさん、でいいんですよね?」

 ベッドの端に腰掛け、フラウはこくりと頷いた。

 そして、一冊の本を取り出し、ウィスカに差し出す。

「あの、これは?」

「だからお礼よ。昼のお礼。私、貸し借りってなるべくなしにしたいの。だから、これであなたにお礼を済ませて、綺麗にさよならしたいってわけ」

 受け取って、と半ば押し付けられるように渡された本をウィスカは軽く開いてみた。

「何も書いてない……?」

「当たり前じゃない。それはね、日記。日々の出来事とかを記すための本よ」

「なる、ほど」

「あなた、旅してるんでしょ? だったら、その記録でも付けたらいいんじゃないかしら」

 軽い調子でそう言うと、フラウはもう1度窓から出て行こうとしてしまう。

「あ、あの!」

「……何?」

「その……フラウさんは、どうして悪いことを?」

「悪いこと、ね。まあ確かに、人のモノを盗んだ私は悪人って扱いでしょうし、追われるのだって当然のことよ。でもね、それぐらいのことをしてでも、手にしたいものがあるのよ」

「そんなの――」

「間違ってる? ええ、間違ってるでしょうね。でもね、間違ったことを繰り返しても、最後に正解に辿り着けば、間違いだって正解になるのよ」

 窓枠に手をかけて、フラウは肩越しにウィスカに笑みを向けた。

「あなたの旅も、最後に正解に辿り着けるような――笑って終われるようなものだといいわね?」

 その言葉に、何か返そうとしたウィスカだったが、

「ウィスカさん、入ってもよろしいですか?」

 扉の向こうから聞こえてきたノックの音に、そちらを向いて返事をする。

「はい、どうぞー」

 そうして、もう1度視線を窓の方に向けた時には、すでにフラウの姿はなくなっていた。

「……用事ってのは終わったのかい?」

 ゴルムの街から少し離れた森の中で、赤髪の女性がフラウに声をかける。

 盗賊団のリーダー、レスタが馬の背に乗って彼女を待っていた。

「ええ、もうこの街に用はないわ」

 レスタの乗る馬の背に腰掛け、フラウは眠たそうに欠伸をした。

「薄情だねぇ、仮にも故郷だろう?」

「故郷だからと執着すれば、荷物が増えるだけだもの。私はできるだけ身軽に生きたいの」

「そうかい。ま、アタシとしてもこの街にもう用はないからねぇ。アンタが持ってきてくれた魔本の試しもできたことだし、とっととずらかろうか」

 馬を走らせるレスタの後ろで、フラウはちら、と寝静まったゴルムの街を見る。

 だが、それ以上フラウは何かを言うことも、街を振り返ることもしなかった。